赤ちゃんの記憶

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乳児クラスを担当しているとたまに「こんなに可愛がっても大きくなったら全部忘れられちゃうんだね。寂しいな」と保育士同士で話すことがあります。

本当にそうでしょうか?

あなたはどう思いますか?

 

今回はいつもとちょっと違うお話「赤ちゃんの記憶」についてお話してみましょう。

 

◯何歳からの記憶がありますか?

自分の記憶をどんどん遡ってみてください。

一番古い記憶は何歳の時ですか?

 

人によりますが「幼稚園・保育園時代の記憶が全然ない」という人もいます。

そもそも記憶を辿ったことがない人もいるのではないでしょうか。

 

私は生後7ヶ月ごろの記憶がはっきりとあります。

私の記憶にちょっとお付き合いくださいね。

 

◯感情の記憶

私の最初のはっきりした記憶は7ヶ月。その瞬間の写真が残っているので間違いありません。

昔ながらの乳母車に立って乗せられた時です。

 

乳母車のフチにつかまって立っているのですが、乳母車に乗せてもらえたことが嬉しくて左手を上に上げて足をどんどんと踏み鳴らしました。

その時の湧き上がってくる様な「嬉しい気持ち」と踏み鳴らした足で「揺れた振動」を覚えています。

さらに揺れた後下を向いて口からよだれがツーッと垂れた瞬間に「あっ!」と思ったことも覚えています。(あっ垂れちゃった。という感じです)

 

周りにいた家族の顔などは覚えていないのですが、「嬉しい・揺れた・垂れた」ということははっきりと残っているので面白いですね。

 

◯言葉の記憶

時は少し進み2才4ヶ月の記憶です。

私の(今は亡き)兄が病気を抱えていたために、大きな手術をすることになりました。

9才離れた姉とともに親戚の家に預けられたのですが、その時の記憶です。

 

初めて母から離れたために姉にくっついたまま泣いて過ごし、夜も姉とともに小さな部屋に布団を敷いて寝ていました。

そんな状況で迎えた朝のことです。

(おそらく何日も経った頃です)

目が覚めて窓から朝日が差し込んでいるのを見て「あさ」と思います。

次に横を見て向こう側を向いて寝ている姉の頭を見て「おねえちゃん、ねんね」と思います。

そして部屋の出入り口の引き戸を見て「あかない」と思いました。

感情としては「部屋から出られないな」という気持ちでした。

「朝だけど姉が起きないので部屋の戸を開けられない」といったところでしょうか。

 

 

2歳児がしっかりと頭の中で言葉で考えているんだなということがわかります。

単語と二語分ですね。

朝だということも朝日を見て感じていたので、おそらく普段からカーテンを開けて「朝だよ」と起こされていたのでしょう。

 

◯残る感情の記憶

「覚えている」という記憶とは少しずれますが、この親戚の家に預けられていたことが後々私に影響を与えます。

結果的に兄は小学3年生で天国に旅立ちました。

その間おそらく周りはバタバタしていたでしょうし、母に会うこともなかなかできなかったと思います。父は遠く離れた家で仕事をしていました。

その時の体験は私に「恐怖感」を植え付けた様です。

 

親戚の家が1階が自営の会社だったためか、誰かが下から階段を上がってくる気配に大泣きしていたそうです。(知らない人が来ることが怖かった)

いまだにアパートなどで誰かが階段を下から上がってくる音や気配が苦手です。身構えてしまいます。

 

また兄の最期の時物凄い嵐になったそうですが、霊安室の暗い雰囲気と雷や雨の音が記憶の奥にあるのか、「暗くて長い廊下・雷の音」に必要以上の恐怖を覚えます。

確証はないのですが、この時の非日常の中の強烈な経験が何かしら関係しているのではと思っています。

 

◯いま目の前の子供の心の中に・・・

冒頭の保育士の「こんなに可愛がっても大きくなったら全部忘れられちゃうんだね。寂しいな」という言葉に立ち返ってみましょう。

私の様に「覚えている」子供も確かにいるのです。

もしかしたら、今この瞬間が一生残る記憶になるかしれません。

 

今のその関わりは一生の思い出になっても大丈夫ですか?

子供の心に楽しい感情として残ってくれるものでしょうか?

そう考えると、毎日の関わりがとても大切なものに思えてきませんか?

 

また、覚えていなくても毎日の経験が子供の心の基礎になります。

楽しい気持ち。怖いけどでも安心出来る気持ち。

悲しいけど最後には笑顔になれる環境。

 

私たち保育士の行動が一人の人間の心の深い部分の関わっているということを、今一度考えてみる機会にしてみてください。

 

 

私の記憶のお話に付き合っていただきありがとうございました。

 

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