子どもの理解 ~社会的な子ども理解~

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「子どもはまるで宇宙人のよう」。初めて子どもと関わった人や学生で、このように例える人 をよく目にします。確かにこのように例えるそのお気持ちもわからなくはありません。私自身も 昔、初めて行った実習では色んなことを体験することができました。想定外のことの連続で、心 に刺さることもしばしば。純粋ですので、本音はそのまま言います。いいときはいいですが、時に は厳しいお言葉ももらいました。(私が考えた活動を「なにそれ!つまらん!」と大声で言われ た時は、さすがに泣きそうになりました。)当時の私は、幼児は本当に「わからない」と思って いました。

しかしその言葉は言い換えれば「子どもをまるで理解していない」という、私自身の知識のな さをも表すことにも気づきました。子ども・幼児の理解ができていなかった自分がいたこと、そ れは確かにその通りでしかありません。そして、子どもが理解されていない、これは一般にも言え ることなのではないかとも思いました。

昨今では子どもに関する悲惨な事件が、残念ながら多く起きています。虐待の件数も増えてい ます。子どもを授かり、実際に子どもとかかわり育てる実際のイメージが、全くできないことも 要因の一つでしょう。子どもというものは本当に未知で、自分の想像通りの存在になんてなりま せん。想定の範囲を超えるなんて当然です。しかし、だからこそ理解する努力、理解しようとする 姿勢が必要なのではないでしょうか。そこで、以下では「子ども理解」をテーマに小論を述べて いこうと思います。

まず、私自身の意見として子どもの理解は3つに分けられると考えます。まず一点目に「社会的 子ども理解」。つまり、一般感覚として社会でどのように捉えられているか、というものです。そ して二点目に「発達心理・生体学的子ども理解」。これは名前の通り生態学的・心理学的な視点 から子どもの発達の特徴を理解することです。そして三つ目に「臨床的子ども理解」。これは、実 際に子どもとの触れ合いを通して子どもを理解するというものです。概ねこの3つに分けられるで しょう。そしてここではまず、1つ目の「社会的な子ども理解」に着目したいと思います。

さて、子どもはこれまで社会一般感覚的に、どのような理解をされてきたのでしょうか。社会的 な見方と言っても様々です。現在だけではなく、昔もあります。そして地域ごとにも異なるでしょ う。そこで、以下では西欧を対象に述べていきます。  西欧における社会的な子ども理解においてはフィリップ・アリエスの研究が有名です。彼は17 世紀以前の絵画において、子どもの特徴には「背丈の違い」程度しかないことを指摘しています。 アリエスの調査から「子どもは小さい大人」という価値観が昔は一般的であったと知られること になりました。

(しかし、最近ではこれらはアリエスはあまり支持されてはいないので、その点は留意する必 要があります。)

現在では、子どもを「未来のある、成長し得る存在」「社会に守られるべき存在」としての認 識ではありますが、この価値観の芽生えはごく最近になってからであるといえましょう。それま では、やはり子どもは軽視されていたと言っても過言ではありません。

19世紀において、イギリスで産業革命が起きて以降、安い労働力として働いていた子どもも多 くいたと言います。安月給で労働する子どもが多くいたことが問題とされていました。また、細い 煙突を掃除できるのが身体の大きさ的に子どもしかいないので、よく子どもが煙突で亡くなるこ とも多発していたともいいます。とにかく子どもの労働は一般的でした。

20世紀になり、子どもの価値観は大きく変わることとなります。そのきっかけとなった人物 が、保育・教育を学んでいる学生は一度は必ず聞いたことがあるでしょう、J.ボウルビィという人 物です。アタッチメント理論で有名な人物ですね。

20世紀初めから中盤に、施設での子どもの育ちが問題となりました。具体的に、施設に入って いた乳幼児の死亡率は高く、発育にも問題があるケースが見受けられるようになり、問題となっ たのです。今ではこれを「施設症(ホスピタリズム)」とも言います。

これらの問題の解決すべく調査を研究者に委託することとなりますが、その委託した研究者が ボウルビィでした。そして彼はその調査において、無機質的な育児の問題点を見出し、情動的な関 わりの重要性を指摘しました。

それ以降は、ボウルビィ、エインスワースなどの尽力もありアタッチメントの重要性が周知され るようになり、子どもは適切な環境で、そして愛情のある関わりから発達していくことが認知され るようになったのです。

以上、西欧においての社会的な子ども理解を簡潔に述べてきました。ただし、これだけは覚え ておかなければなりません。時代の変化により変わったということは、今後も変わる可能性も十 分にありうるということです。子どもが軽視され、権利を認めないという、悪い方向に変わるこ ともあるかもしれません。それを防ぐためにも、現代にいる我々の責務として、「未来のある、 成長し得る存在」「社会に守られるべき存在」という認識を十分に持ち、そして尊重しようとす る姿勢を持つ必要があるのではないでしょうか。

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