あなたは「褒められる」のは嬉しいですか?
私は褒められたらとっても嬉しく感じますし、ますます張り切ってしまうタイプです。
それは誰でも感じる喜びだと思います。
でも、あるお母さんはその喜びを持てずにいました。
◯不安ばかりの毎日
Kくんのお母さんは毎日不安な顔をしていました。
Kくんは知的な発達に遅れが見られ、先のことを考えると「ため息」ばかりが出てしまうとのことです。
2歳クラスで担当し年長でも担任になった私とは笑顔で話せるようになったお母さん。だんだんと心の中の苦しい気持ちを打ち明けてくれるようになりました。
5歳になって小学校のことも考えるようになると、悩みはどんどん深くなっていくようでした。
週一回の療育に通い始めると、その悩みはますます増えていったようです。
話を聞くと、療育の先生から「あれもできない、これもできない」と出来ないことを毎回言われているとのこと。
だんだんと療育に行きたくないと、お母さんが感じるようになっていきました。
療育の先生の現状をしっかりと伝えることで、お母さんが家庭でも上手に関われるようにしたかったのだと思います。
それはとてもよくわかったのですが、お母さんの落ち込み方はとてもひどいものでした。
いくら励ましても「でも、また出来ないって言われちゃう」とため息をついていました。
◯いいところを伝えたい
落ち込むお母さんと一緒にいては、Kくんにとってもいいはずがありません。
保育園からは、Kくんのいところをたくさん伝えていこうと考えました。
「箸の持ち方が上手になってきましたね」「着替えの仕方が早くなってきたみたいですよ」など生活面の細かいところを成長の姿として伝えていきました。
でも、それは「出来なかったこと」が「少しずつできるようになった」ということであって、逆に言うと他の子たちと比べてしまうという一面もあります。
そこで私はKくんの得意な「絵」について話題にするようにしました。
Kくんの絵は独特な色遣いが特徴的で、5歳児が描く絵とは思えない不思議な世界観がありました。
「Kくんの絵は本当に素敵ですよね」
お母さんに会うたびにその日に描いた絵を見ながら話しをしました。
お母さんはとても喜んでいました。
そしてある日「うちの子は絵の才能があるのかもしれないですよね?」と言うようになりました。
私は何の躊躇もなくその意見に賛同しました。
本当にそう思っていた面もありますし、「うちの子足早いからオリンピック選手だわー」のような冗談にも似た感覚もありました。
◯そして投げかけられた言葉
とても嬉しくなったお母さんは療育の先生に「Kは絵がとても上手なんです。もしかしたら才能があるかもしれないんです」と伝えました。
おそらく先生と一緒にKくんの楽しい話をしたかったのだと思います。
しかし楽しい話にはなりませんでした。
「お母さん。絵なんか描けたって仕方ないですよね?絵が描けたって役には立ちません。 kくんは今もっとやることが他にありますよね」
お母さんはその投げかけられた言葉で深く深く心をえぐられてしまいました。
次の日私の前で大粒の涙をこぼして話してくれてわかったことです。
◯言葉は時に凶器にもなる
私は「療育の先生はKくんの絵のすごさがわからなかったんだね。もったいないね。これからは私たちだけでKくんの絵を楽しみましょうね」と何だか的外れな励まし方をしたように記憶しています。
立場的に療育の先生を責める発言もできないし、また間違ったことを言っている訳ではないと思ったからです。
心の中では「何でそんな酷い言い方をするの?」と怒っていましたが、それを言葉にするのはまた何か違うような気がしていました。
実はこの時どうするのが正解だったのか私の中で答えは出ていないのです。
「絵が描けたって役には立ちません」という言葉は、正しいことを言っていたとしてもお母さんの心をえぐる凶器となりました。
でも私が「絵が上手」とお母さんをいい気持ちにしていた言葉もまた無責任な凶器だったかもしれません。
◯障がいと向き合うこと
世の中には障がいを持ちながら、芸術的なセンスを光らせている人はたくさんいますしそれを仕事として生きている方もいます。
Kくんのお母さんはおそらくそんな未来を夢に見たのだと思います。
健常児が足が速いと「あらー将来はオリンピックに出られるわね」と喜ぶのとは少し違う感情だと思います。
見たくない言われたくない「~~ができない」という言葉を隠すように「でも絵の才能があるから」という言葉にしがみついたのでしょう。
私はお母さんの心を軽くしたかった。
療育の先生は今身につけられることを育てたかった。
同じようにKくんの障がいを見ていたのに、どちらもお母さんを傷つけてしまったのですね。
障がいと向き合うということは、家族にも、家族を支える立場の人にとっても、とてもとても難しいことだと思いました。
その時はできませんでしたが、もし今ならば、迷いなく療育の先生と連絡を取り合うと思います。
いえ、あの時もそうするべきでしたね。
私たちがまず、Kくんについて理解しあう場を持っていたら言葉を凶器することはなかったかもしれません。
◯願い
Kくんの現在を私は知る術がありません。
彼はもう成人しています。
絵はまだ描いているのでしょうか。
お母さんはその絵をどんな思いで見ているのでしょうか。
2人が今笑顔でいてほしい。
そう願うばかりです。
大きな反省を込めて。