以前私が勤めていた保育園でのある出来事について書かせていただきます。
私のクラスに一人自閉症の子(以下;Aちゃん)と過ごした経験です。
子どもたちにとってこの子はどのような存在になっているのかなと障害児保育を通して周りの子たちが成長していく姿が見られる一年。
私も日々奮闘して保育に取り組み、二人担任でAちゃん含め17名を保育していきました。
日々の保育では一人がほぼAちゃんに付き添い、もう一人は残りの16名を一人で保育します。
どちらも本当に大変で4月5月は忙しすぎてどのように過ごしていたのかもほとんど記憶にないくらいです…笑
まず散歩に行くまでが大変でした。
体も大きかった子だったので、おむつを替えてトイレに座らせる、手を洗う、手を拭く、帽子を被せる、水筒を持たせる、靴をはかせる
散歩に行くまでの行程でまずこれだけのことをしなければなりません。散歩にいく準備が終えるまで30分かかるという事も日常茶飯事。
保育士が付き添えば自分で体に力を入れて歩いたり座ったりする事をしてくれていますがそれ以外のことはほぼ保育士が行います。
あまりにも時間がかかり散歩の行きかえりで時間が終わってしまうような時は今日はあきらめて園庭でたっぷり遊ぼうと急遽予定を変更をしてしまう事もありました。
朝の会で今日は〇〇公園に行くよと子どもたちに伝えておいたのに急遽こちらの都合で場所を変更をしてしまう際本当に申し訳なく感じていたのですがその時の子どもたちも反応は意外にもあっさりしており「いいよ」と受け入れてくれました。
日々の私たちの姿を見ていた子どもたちに少しづつ、何かが伝わっているのかなと感じる一場面。
その後の子どもたちは私たちが驚くような姿に変わっていき
「せんせい、Aちゃんの水筒持ってくるね」「Aちゃん、どっか行っちゃうから見ておくね」など私たちが困っている時には自ら手伝ってくれるようになりました。
もともと優しい性格の子が多かったクラスではあったのですが誰一人Aちゃんを嫌がる事はありませんでした。
そんなある時、C男が「えー、また園庭なの」と不満をもらしました。
私たちもいつも他の子に我慢をさせてしまっているのはわかっていたのですが、きっと子どもたちは私たちが大変そうにしている姿を見ていうに言えなかったのだと思います。
「ごめんね」とC男に対して謝っている姿を見ていたB子が「Aちゃんは公園を飛び出したり、お漏らししちゃうから園庭なんだよ」と説明をしていました。
B子なりにAちゃんに対して感じていた事はこのような事だったんだ。と改めて知る言葉でした。B子は別に差別的な意味合いでこのような事をいったわけではありません。自分たちとは少し違った姿を持っているけど一緒に保育園で過ごす仲間としてちゃんと受け入れているような気がしました。
バタバタとした保育園生活はその後も続きましたが本当にクラスの子どもたちに助けられた一年間でありました。子どもたちがAちゃんと過ごした一年間はきっとその後、どのような人に出会っても「自分とは違っていてもいいんだ」と受け入れられる優しい気持ちをもってほしいなと思いました。
保護者の方も毎日の送迎が本当に大変そうではありましたが、優しい子どもたちのエピソードを帰りに話すと「ありがとうございます」と涙ぐみながら聞いてくださっていました。そして普通学級で保育園に通っていたAちゃんにとってもいろいろ刺激のある日々であり保育園で一緒に過ごした子どもたちを覚えてくれているかはわからないですが色々な経験ができたと思っています。