1.S君との出会い
S君は2歳4か月。
ほかの保育園より転園してきました。
登園時からパニック状態でとても荒れており、いつまでも泣き続けています。
保育園では床にゴロンと寝転がり、保育士が近づくと、棚に入り込み挑戦的な目で私たちをにらみつけます。
特に噛みつきはひどく、泣いて逃げるお友達を追いかけ、その子に噛みつくさまは異様なほどでした。
保育士はS君に一体どうかかわればいいのか、私たちは、お部屋からすぐ出ていこうとするS君の安全のためにお部屋に鍵をかけることにしました。
事故のないように、周囲を見渡しながらも、終始S君の動きを目で追い、危険な状態を察すると大きな声で「やめて!S君!」「あぶないでしょ!」と叫び、それがS君に対する声かけのほとんどでした。
S君が周りの子に近づくと危ないので、S君を他のお友達から離すために抱き上げると「先生、嫌い!」といい、保育士にも噛みつき、パニックは増すばかりでした。
S君の噛みつきはエスカレートし、かみつかれた園児の顔にしっかりと跡が残り、「保育園に安心して預けられません。」と保護者の方からさらに厳しい指摘を受けます。
「S君がいるから怖い!」と登園拒否する子もでてきました。
2.S君と母親
まず、S君の登園時の様子です。
母親は、S君を玄関先でおろすとそのままくるりと背中を向け、急いで仕事に行ってしまいます。
玄関先で一生懸命手を振っているS君ですが、母親は振り向いてもくれません。
突然引き離された不安と、その満たされない感情からS君は玄関先で激しくないてしまいます。
また、親子遠足があったときのことです。
親子で手をつないで一緒に歩いたり、行動を共にするのですが、S君は母親と離れ、私たちの方へ手を差し伸べてきたのです。
母親は「なんで!」と激怒してしまいました。
決定的に私を驚かせたのは、S君が画用紙いっぱいに角の生えた母親の絵を描いたことです。
私たちはその絵を見てドキッとしました。
母親の温かいぬくもりの中でS君は本当に愛されて育っているのか、子供は不安になったとき、信頼できる大人(母親)にくっつき、甘えようとします。
そして、その甘えを受け止めてくれることで安心します。
その体験が繰り返されることで、自分の居場所があることを認識するのです。
S君には、その安心できる場所があるのか、私たちは、職員会議を開き、母親と面談することにしました。
- S君にみられた変化
「実は、前の保育園でも押したり、たたいたり、かみついたりがひどくて、面倒がみきれないという理由で暗にやめるように言われたんです。そのことを先生方にいうと、こちらの保育園でも断られる気がして言えませんでした。」
母親は初めて、私たちにそのことを伝えてくれました。
今、S君にとって大切なことは何なのか、ママはどうあってほしいのか、そして、私たちの思いや願いをお伝えしました。
幼児期に獲得せねばならない親と子の愛着関係がきちっと身についていない結果として、S君は人間不信になり、その代償として様々な問題行動を起こしているのではないか…。
お友達にけがをさせるということは避けなければならないが、S君のうっ積した感情の爆発を私たちがしっかり受け止めていこう。
S君を他児から離すために、「抱き上げる」ではなく、S君を「抱きしめよう!」
噛みつくのは、S君のせいではなく、私たちの責任とひとつひとつ私たちの関わりを見直していきました。
すると、少しずつS君に変化が表れてきました。
年末年始のお休みがあって、久しぶりに登園してきたS君。
「先生、ただいまーーー」と玄関先で元気なS君の声。
「まぁ、おかえり!どこに行っていましたか?」
「おうち!」
そんなたわいない会話の中で、S君の表情には笑顔が見られます。
噛みつきもなくなり、S君にとって、おうちも保育園もやっと安心して過ごせる場所になったようです。
4.母親からの手紙
3月末、S君の母親より、お手紙がとどきました。
『この1年間、本当にありがとうございました。仕事が忙しいという理由で、子育てが十分にできず、先生やお友達に迷惑をかけたことをお詫びいたします。保育園の玄関に入ると、わが子は一番に「先生!」と嬉しそうに呼んでいます。この子は、初めて自分からなついていける先生方に出会えました。どうか、まだまだ手のかかる子ですが、よろしくお願いいたします。』
保護者と私たちが共通理解をし、「子供のために」惜しみなく、愛情を注ぐことで、「子供は変わる!」
S君の事例をとおして、母子の愛着形成の大切さを改めて感じました。