俺は松野大輔。32歳のサラリーマン。営業職。
家には妻と3歳の男の子がいる。
俺は仕事ができる男だ。自分でもそう思うし、周りの奴らもきっとそう思っている。
残業もバリバリこなして、取引先との接待もうまく場を盛り上げて人気者になれる自信がある。
俺の人生はバラ色で、もちろんこれからも輝かしい未来が待っている。
はずだった。今日までは。
〜〜〜〜〜〜〜
仕事中スマホが震えた。
「誰だ?」画面を見ると妻からの着信だった。
「なんだよ、仕事中に」
口元を歪めながら電話に出る。
「なんだよ、仕事中だぞ」
「あ、ごめんなさい。緊急なの」
「緊急?なんだよ。早く言えよ」
仕事を中断されてイライラしていたので言い方もキツくなる。
「ごめんなさい。あのね、私急だけど入院することになったの。切迫早産だって。絶対安静だって。一度病院に来て。あと大輝のお迎えもお願い」
そう妻は妊娠中なのだ。
何ヶ月だっけ?忘れたけどおなかは結構出てたかな。
「急に言うなよ。俺だって仕事が詰まってるんだぞ。今日は接待もあるし」
「ごめんなさいってば。仕方ないのよ。今日会社で具合悪くなっちゃって、会社の人が病院に連れてきてくれたのよ」
「なんだよー。参ったなぁ」
「とにかく私の旅行かばんに入院セットが入っているから、まずはそれを持ってきて。今から病室に案内されるから。あとはメールで。じゃね」
「おい!!」
電話は切れていた。
俺は大きなため息をついた。
後輩のところに行って肩を叩く。
「今日の接待、お前だけで行って。絶対失敗するなよ」
「え!先輩はこないいんですか?え、無理ですよ。なんでですか」
立ち上がりながら慌てる後輩の肩を押さえて座らせる。
「仕方ないだろ。うちのが入院だってよ!まったく!」
「でも先輩、俺どうしたら」
その時俺の横を同期が通りかかった。
「あ、山崎。お前俺の代わりに接待行け。後輩のフォローしろー」
後輩と同期の山崎の手をつかんで握手をさせて、俺は風のようにその場を立ち去った。
〜〜〜〜
病室に入ると妻が寝ていた。4人部屋だ。
「ほら荷物。まったくなんで入院なんか」
「ごめんなさい、でも赤ちゃんが危ないから安静にってせ・・・」
「あーもういいよ。迎えに行けばいいんだろ。はー。退院わかったらメールして」
「あ、待って、明日、ねえ。待ってよ」
まだ何か話している妻を遮って、かばんをベットの上に置き俺は保育園へと向かった。
〜〜〜〜
「ママ?ママ?」
保育園に迎えに行ってから大輝はずっと「ママ?」と聞いてくる。
さっきから何度も「ママは病院」と答えているのに全然わからないみたいだ。
家に戻ってきてからも「ママ?」と聞く大輝をリビングに連れていき、俺は冷蔵庫に向かう。
「飯はどうすりゃいいんだよ」
「俺は・・・ビールでいいか、漬物と、あ、かまぼこでいいや」
ビールを手に取って振り返りはっと気がつく。
「大輝は何を食うんだ?」
冷蔵庫を見ても大輝が食べられるようなものはない。
棚をごそごそと探してみると、スティックのパンが出てきた。
「これでいいか。大輝、これ食べて」
一本取り出して大輝に渡す。
しばらくパンを見つめていたが、やがてもそもそと食べ始める。
その間に俺は田舎の母に電話をかけた。
〜〜〜〜
わかってはいたけれど、俺の親も妻の親もそれぞれの事情があってすぐには来られないとの返事だった。そりゃそうだ。俺の親は腰が悪いし、妻のお母さんは妻のお父さんの具合が悪くて介護状態だ。
もーどうすりゃいいんだよー。
〜〜〜〜
昨晩は泣き叫ぶ大輝をなんとか布団にいれて寝かしつけた。
風呂に入れるのを忘れた事に気がついたのは朝だった。まー、しょうがない。
朝ごはんなんか当然ある訳もなく、昨日のパンを大輝に渡す。
なんだか泣き疲れたのか元気なくパンを見つめている。
そんなことより保育園の準備だ。
大きな布の袋を手に取ると、昨日の汚れ物がそのまま入っていた。
「洗濯!あー!もう!」
中の服を床に放り出して、新しい服を探す。
当たりを見渡すと昨日から干してあった服が目についたのでそれをそのまま袋に突っ込んだ。
「大輝!保育園行くんだから早く食べて」
渡したままのパンを見つめて動かない大輝をせかす。
「あ、着替えてないじゃないか!着てく服は、あーもうこれでいいか」
まだ干してあった服を再びとって、大輝をイスからおろす。
「はい、自分で着て!はやく」
なかなか着替えない大輝を強引に引き寄せて服を着替えさせた。
〜〜〜〜
「おはようございます」
保育園につくと笑顔で先生に挨拶する。
「おはようございます。あ、今日はお父さんと来たのね、だいきくん」
「あ、ちょっと入院したもんで」
「え!入院?あ、あれ、お父さん、リュックは?」
「リュック?」
「今日遠足ですよ!お父さん!」
「え?」
「お母さんから聞いてませんでした?」
俺はあわててスマホを取り出す。
妻からおびただしい数のメールがきていた。着信も。
昨日は疲れ切ってスマホを見る余裕がなかったのだ。
「あ、知らなくて、あ、すみません、え、どうしよう」
「お父さん、大丈夫です。まだ時間はあります。コンビニで大輝くんが食べられそうなお弁当を買ってきてください。あと麦茶のペットボトルをお願いします」
「お、お弁当と・・・」
「麦茶です。お弁当はおにぎりとかサンドイッチとかでもいいです。はい!お願いします」
先生の「はい!」に押されるように俺は駆け出した。
間に合うのか?
お弁当!!
コンビニー。どこだー。
2へ続く