待機児童の問題が連日報道される中で、保育士不足や賃金の安さ、過労働などの言葉が聞かれるようになってきました。
資格があっても働いていない人が働けるようにしよう、と潜在保育士にもスポットが当たるようになっています。
私も潜在保育士です。
病気により保育士を続けることができなくなりました。
仕事復帰に向けて療養していますが、果たして保育の現場に戻れるのか?
はっきり言って自信は全くありません。
最高の環境だったのに
私は、公立の保育園で働いていました。
給料も人員も保育の環境も国の基準ぴったりで文句の付け所はありませんでした。
しかし、6年ごとに転勤し24年たったところで心も体も悲鳴をあげ、保育の現場から去りました。
これ以上無い良い環境だったのにです。
追いかけられる毎日
子どもとの鬼ごっこ?いいえ。
膨大な事務や作業に追いかけられていたのです。
年間計画、月案、週案、日誌、連絡帳、日々の連絡ボード、クラス便り、園便り、行事に関わる書類、児童表(成長発達の記録)、部屋の装飾、行事に関する制作物。
まだあったかな?
保育園の内情を知らない方はこう思うかもしれません。
「どの仕事だってそれくらいの量こなしてるよ。甘えてるんじゃない?」と。
もちろんどんな仕事も、これくらいのこと、もしくはそれ以上のことを抱えていると思います。
しかし、私たちには圧倒的に時間が足りないのです。
「おはよう」から「さようなら」までの間、私たちは子どもから目を話すことは出来ません。
一瞬もです。
大人同士何か会話するときでも、目線は子どもに。
少しでもそこに目が向かなくなるときは、必ず他の保育士に伝えます。
砂場でお山作りをしていても、園庭全体にも目を向けています。
そんな中で書類に向かって字を書くなんて絶対に出来ません。
私たちの事務の時間は子どもたちの午睡の時間です。
自分も昼食を食べ休憩も取りながら、子どもが起きるまでの時間を事務に当てています。
追いかけてくるのは事務だけじゃない
大事な事務の時間。
しかし、午睡の時間は打ち合わせの為の時間でもあります。
クラス担任の打ち合わせ。乳児、幼児別の打ち合わせ。行事の係の打ち合わせ。
クラスリーダーであれば園長への報告の時間でもあります。
打ち合わせが入ると事務は一切出来ません。
子どもの迎えが来て、人数が減って来たところで交代で抜けて事務をします。
しかし、遅番までかかる子が多いクラスの場合、5時を過ぎても日中と変わらぬ人数であることは普通にあります。
抜けることすら出来ない上に早番がなかなか帰れないこともあります。
いつやるの?家でしょ!!
園で出来ないなら、持ち帰るしかありません。
保育士のカバンは洗濯のジャージと持ち帰りの書類でパンパンになります。
一刻も早く横になりたいのを我慢して、家で書類を広げます。
時には装飾や行事の作り物をすることもあります。
たいていの保育士の家には一通りの作業ができる道具が揃っているはずですよ。
体を休めたいのに終わらない仕事。
疲れがどんどん溜まっていくのを感じました。
人間関係は絡まった糸のよう
保育園は様々な人との関係があります。
保育士との関係、保護者との関係、園児との関わり、調理師などの他職員との関係。
いつもどこかの関係に悩みがありました。
子どもたちに、人との関わりの基本を伝えるべき私たちですが、その人間関係に悩むのもまた私たちの姿です。
時間のない中でのコミュニケーション不足から気持ちがすれ違い、時として意見がくい違ってしまう。
本人がいないところで話をすると悪口になってしまう。
悪口はさらに悪口を呼び、いつも誰かに何かを言われているのでは?と勘ぐってしまう。
気落ちの揺れが仕事のミスにつながる。
小さなミスが保護者の不信感につながる。
一つの小さな出来事が次々と重なり、やがて息苦しくなってくるのです。
悪夢の始まり
私はある日突然具合が悪くなりました。
詳細はお伝え出来ませんが、入退院を繰り返しました。
前述の通り公務員だった為、休職もしっかりと取らせてもらえました。
期限いっぱい休みを使いきり復帰の運びとなりましたが、もう私には頑張る力が残っていませんでした。
事務の多さも、人間関係の辛さも、体力の維持も健康であったからギリギリ出来ていたのです。
それでも保育士としてここに立ち続けたいと頑張っていました。
しかし、「お前はもう役に立たない」と言わんばかりの扱いを受け、年度途中で職を辞しました。
やっとそこにいるような人は保育園にはいらない存在なのです。
なぜ具合が悪くなったのか。
なぜ続けられなかったのか。
これから保育士にもどれるのか。
正解のない答えを、今でも探し続けています。
未来のため
全ての保育士が、心のゆとりを持って働ける。
そんな職場を望むのは夢物語かもしれません。
でも、現状のまま保育園という入れ物だけが増えていったら・・・
現場の保育士は声にならない悲鳴をあげ続けるでしょう。
潜在保育士はそれに心を痛めながらも、怖さのあまりその一歩がふみ出せなくなるでしょう。
そして何より子どもに、その保護者に、しわ寄せがいってしまうことでしょう。
いつの日か「私毎日追いかけられてるんだ。楽しいよー鬼ごっこ」と、
心から笑える日がくるように、今の私にできることを考え続けたいと思います。
考えることをやめない。
発信をし続ける。
それが未来への道筋になるように。