私の書く記事には、よく「しつけ」の話が出てきます。
保育士も、親も、祖父母だって、毎日の子供との関わりは全て「しつけ」につながると考えているからです。
そんなことを踏まえて、今日は「トイレトレーニング」について考えていきましょう。
保育園がやってくれるから
お母さんたちの会話です。
「幼稚園入れる前に、トイトレしなくっちゃ」
「えー、うちはね、保育園がとってくれたよ? オムツ」
「ほんと? いいなー。うちも保育園にすればよかったー」
さて、この会話を聞いた皆さんの感想はいかがでしょうか?
「そうそう保育園はそいういうことに力入れてるからね」ですか?
「ちょっと待ってよ。やるのはお母さんでしょ?」でしょうか?
私はちょうどその真ん中です。
保育士の目線
保育士は日中のほとんどを子供たちと過ごします。
単純に時間だけで計算したら、起きている時間一緒にいるのは保育士の方が長いですよね。
すると、トイレトレーニングは保育園でほとんどをすることになります。
また、園で作成している保育計画には必ず「排泄」の項目がありますので、保育の中で行われるのは当たり前のことです。
皆さんも自分からお母さんたちに、
「そろそろオムツを外してみましょうか?」
と発信していますよね。
そしてトイレトレーニンが始まると、保育園でどんどん進んでいきますよね。
「今日トイレでおしっこが出たんですよー」
と報告するのは嬉しい瞬間です。
大きくなってからも、
「先生にオムツ外してもらって本当に良かったです」
などと言われると嬉しさ倍増です。
つまり、保育士目線でのトイレトレーニングは「保育園では当たり前のこと」なんですね。
親の目線
親はトイレトレーニングを「難しくて面倒臭いもの」と捉えているのだと思います。
これは痛いほどわかりますよね。
ちょうどイヤイヤ期と重なり、親の仕事は忙しく、家事はどんどん溜まっていく……。
そんな中でトイレトレーニングをするのは至難の技です。
そんな時に保育士が「そろそろオムツ取りましょうね」と言ってくれたら、大喜びするのは当たり前です。
昼間園でトレーニング。夜はオムツでのんびり。
それが理想ではないでしょうか。
問題はどこにある?
「やるのはお母さんでしよ?」
と思った人は、きっと
「何もしない」お母さんに対しての気持ちですね。
では、何もしないとはどういうことでしょうか?
夜も何が何でもパンツで過ごして、ということでしょうか?
もちろん、最後の方はオムツをしないで夜も過ごさなくてはならないのですが、問題はそこではないと思うのです。
私が考える問題は、子供への気持ちまでもを「丸投げ」してしまうことです。
「おしっこ出たの? よかったね。今度お家のおトイレでもできるね」
と声をかけたり、
「パンツに出ちゃったの? いいよーじゃぶじゃぶお洗濯しようねー」
と言ってくれたりするだけで、子供の気落ちが違うと思うのです。
しかし、その声かけが全く無かったり、「もうパンツないよー」と言ってみたりするお母さんは、気持ちが子供に向いていないということになりますね。
しつけや、何か(今回はおしっこがトイレでできること)を習得する時には、必ず「共感してくれる大人」が必要です。
その共感することまでもを放棄してしまうお母さんに対しては、
「お母さんがやることでしょ」
という気持ちを持ってしまうかもしれません。
保育士がすべきこと
問題点である「共感する気持ちがない」ことに気がついた時に、私たちには何ができるでしょうか?
まずは「丸投げ」のような状態を作らないことです。
トイレでの様子を細かく報告して一緒に喜んだり、悩んだりしていきましょう。
共感するにはまず「知る」ことです。
それには「伝える」必要がありますね。
「お母さんたちが丸投げなんてひどいよね」
という前に、そうならない状況にするのも、私たちの仕事だと思います。
お母さんたちの会話が、
「保育園いいよ、一緒にオムツ取ってくれるんだよ」
のように変わってくれるといいなーと思っています。