マンションから子供が転落するという痛ましい事故を耳にしました。
しかも続けて2件もです。
1件目は親が買い物で不在だったとのこと。
2件目は親が家にいたにもかかわらず、起こってしまった事故のようです。
この2件は違うようでいて、同じ事故だと思いました。
それはどちらも「親が見ていなかった」ということです。
もちろんどちらの事故も詳細はわかりませんが、子供の事故は大人がほんの少し目を離した隙に起きるのです。
今回はこの事故から、「子供を見る」ということを考えていきたいと思います。
「見る」ってどういうこと?
よくある風景に、母親が父親に「ちょっとご飯作る間子供見ててよ」というものがありますね。
この時の「見てて」が、「きちんと向き合って遊んであげて」という意味だということは、私たち保育士なら容易に想像ができます。
さらに言えば「ご飯食べられるように、オムツも替えといて」も含まれますよね。
ところが現実は、父親はソファーでスマホをいじり、子供は足元でさっき畳んだ洗濯物を撒き散らしている……。
母親の言う「見る」と父親の思う「見る」の意味が違っているのです。
父親はスマホを見ながら、チラチラと子供を見ていたかもしれません。
「子供はそこにいてオモチャで遊んでる」と確認もしたでしょう。
ところがスマホに視線を戻した3秒後には洗濯物に手を伸ばしていたのです。
チラチラと見ているその間に「何か」が起こってしまったわけですね。
一方で母親は、その3秒で何かが起こることを予測しているので、自分の目が離れる代わりに向き合って見ていて欲しかったはずです。
この「予測」ができないことが、大きな事故につながる要因になってしまうのです。
想像力が足りない
先出の事故もおそらく予測ができていなかったのではと思います。
(あくまで私的な推測です)
「近くのコンビニに行くだけだから大丈夫」と思い出かけてしまった。
「そばにいるしお兄ちゃんも一緒だから安心だろう」と目を離してしまった。
目を離すことで起きるかもしれない「思いがけない出来事」に対しての意識がとても薄かったのではないでしょうか。
また「寝ているから、その間にでかけよう」という話もよくききます。
どのケースも、「今この時点では大丈夫」ですが、「自分の目が離れた後はどうなるかわからない」という想像力が足りないのです。
保育士が伝えていこう
全ての親がそうではないと思います。
きちんと危険を予測して対応している方がほとんどでしょう。
でも、ほんの数人でも「少しくらい大丈夫でしょ?」と思う人がいるのだとしたら、私たちは伝えていかなければなりません。
保護者会や、お便り、面談。色々な機会があります。
ぜひ具体的に伝えてください。
「目を離さないでくださいね」
よりも、
「3秒目を離すと、5メートル移動しますよ」
「鍵は簡単に開けてしまいます」
「ベランダにある物はたとえ細い棒でも足場になります」
「寝ていても、扉を閉めた瞬間に目を覚ましますよ」
実際の生活に合わせて知らせることが大切です。
「見ててね」がわからないお父さんがたくさんいるのですからね。
「あの時ちゃんと見ていれば……」と後悔するような事故が、もう二度と起こらないことを切に願います。