ほら! 見られていますよ

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先日テレビのニュースで、京都大学のグループが発表した研究結果が取り上げられていました。
それは、「人間が生まれた時から正義感の原形を備えている可能性がある」というものでした。

簡単に説明します。
6ヶ月~の赤ちゃんに、悪者が弱者を攻撃する場面を見せます。

一つのビデオでは、正義の味方が現れ弱い人を助ける。
もう一つでは、第三者が現れるも無視して助けない。という内容だそうです。

その後正義の味方のキャラクター(実験では色のついたボールのようなもの)と、ただ見ていたキャラクターを同時に差し出すと、20人中17人が正義の味方を手にとったというものです。
発表では「可能性がある」という表現でしたが、とても興味深い話だと思いました。

 

成長の道筋で

最初は「へー赤ちゃんでもそんなことがわかるんだー」という感想でした。
その後、また別の番組で「いじめ」についての話を聞きました。

その時この2つの話が私の中で繋がって、1つの疑問が生まれました。
「あれ?正義感の原形が6ヶ月からあったとして、なんでいじめをするような子が出て来るんだろう?」

先の実験では、正義を示したキャラクターに好意を持ったわけですから、そのまま成長すれば、人に危害を加えるようなことは、本能的に嫌うのではないかな?と思ったのです。そこでやはり「成長の過程が大切なのか」という結論に至ったわけです。

 

保育士は何を示すべきか

研究結果を全て読んだわけではないので、この研究がねらっているところはわかりませんが、保育士の立場から考えての、大事な意味を読み取りました。
いわば正義を持って生まれてきているのに、真逆な行動をとる子どもになってしまう過程には、やはり「大人の関わり」が重要だと思います。

私が真っ先に思い出し反省したのが、乳児クラスでの自分の立ち居振る舞いです。
保育中はもちろん意識していますが、例えば、午睡中・食事中などちょっとの合間に保育士同士どんな会話していたかな?と考えると、恥ずかしくなるようなものが次々思い出されました。

例えば
「今日緊急に昼の打ち合わせ入りました」などの連絡があった時、幼児クラスなら子どもが聞いていると思って「わかりました」で済ませていました。

でも0歳児や1歳児の前ではわからないだろうと思い
「えーまたですかー?〇〇先生なんでいつも急に打ち合わせ入れてくるのー。こっちの都合全然考えてない!!」と文句や悪口を言ってたかも。

「〇〇くんのお母さん昨日もお迎え遅刻だったんですよ」
「なんかさー、あのお母さん早く来る気持ちが全然ないよね。そいう言えばこの前もさー・・・」
保護者への不満たらたらしゃべっていたかも。

赤ちゃんだから、「わからない」「聞いていない」と思っていました。
赤ちゃんに話かける時はあんなに気をつけていたのに、耳に入るであろう言葉には気を使っていなかったのですね。

 

先ほどの研究結果を考えてみると、
私は「正義感のかたまり」の子どもに、正義とはかけ離れた悪口を聞かせ続けていたわけです。

私たち保育士が示すものがそれでいいのでしょうか・・・
絶対ダメですよね。

 

子どもは見て覚えていく

保育士も親も、子供の躾にはとても気を使い、また、気をつけていると思います。
でも自分の何気ない言葉や人との関わりはどうでしょうか。

挨拶しましょうと教えても
「昨日喧嘩した人と挨拶もしたくない」という態度を見せれば?

ものをもらったら「ありがとう」だよと教えても
「また旦那のお母さんが、たくさん食べ物送ってきた。こんなに食べられるわけないじゃん。もう毎回毎回」と乱暴に扱っていたら?

みんな仲良くしようねと言っている保育士が
「もうあの先生ほんとダメだよね。何回言ってもなおらないし。一緒に係なんかやりたくない」とヒソヒソ話していたら?

みんなみんな見ています。
正義の塊の心で見ています。
その正義の心に何が写ってそして入り込んでいくでしょうか・・・

自分の前では笑顔なのに、影では違う態度に変わってしまう大人のことをどんな気持ちで見ているのでしょうか。

 

ニュアンスから変えてみよう

何げない言葉にこそ、素の気持ちって出てしまいますよね。
そこをちょっと変えてみましょう。
今まで出てきた言葉を変えてみますね。

「あー昼の打ち合わせがまた入ったんだ。ちょっと体制がきついね。担当の先生に確認してお願いしてみようか」
「お母さんまた遅刻しちゃったんだ?一度ちゃんと話し聞いてみないとね」
「挨拶しづらいな。今日はできないけど、仲直りしなくっちゃ」
「うわ、食べきれないほど送ってきたねおばあちゃん。もったいないからみんなにおすそ分けしようか?」
「あの先生になかなか伝わらないなー。私の伝え方、ちょっと変えなきゃダメかな」

心の中にたまりそうな鬱々したものは、どうか大人だけのときに吐き出してください。
そこに子どもがいる限り、私たち大人は正しい心の持ち方を見せなければいけなかったんです。(これは、私自身への言葉です)

 

ここまで書いた時に私の母が夕食が出来たと呼んでくれました。
なんと焼き魚が真っ黒に・・・皆さんなら、どうしますか?
怒る?無言で食べる?そもそも食べない?

私たちは「大笑い」しました。
皿の上の魚をひっくり返したらもっと焦げていたので、また更に笑いました。
お腹が痛くなるくらい笑いました。
父と母と私で、焦げてたけどこんなに食べられたと自慢しあいました。

人の失敗は責める物ではない。
失敗だってみんなで笑えば、素敵な時間になるなーと改めて思いました。

もし誰か一人でも「こんな焦げた魚食べられるか!」と怒り出したら?
その日の夕飯は最悪な雰囲気になりますね。
もしかしたら、もう二度と焼き魚は登場しないかもしれません。

こうやって人間は、関わりの中で生きていくんですね。
その人との関わりのスタートである乳児は「正義感のかたまり」ということを忘れてはいけないと強く思いました。

何気なく知った、しかも聞きかじった研究結果でしたが自分の保育を振り返ることができました。
持って生まれた宝物を壊さずに育てていけるように日々関わっていきましょう。

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